March 28 はれ

昨日はとても寒くて、朝にはみぞれもまざった。
夕方には、お日様が斜めに雨粒のついた傘をひからせた。

この歳になって
いい出会いや別れがあるものかと驚いています。

普通に話していた青年が、
食べ物の話題から
自分が朝鮮学校を出た在日三世の朝鮮人であることを告白されてとまどった。
大学は学習院、大学院ではフランス文学の研究室にいたそうだ。

クアラルンプールで事件が起こった。
なんとなく、避けられている感じがしてきまずかった。
眼が合ったとき声をかけた。すこし勇気がいった。

僕は避けられている感じがさみしかったこととはなし、
なぜ、在日朝鮮人だということを告げたのかと尋ねた。

沈黙の後、普通のひとりだとおもったから。

僕は、すごくうれしくて調子に乗って
俺は、背景に惑わない、ひとりしか見ない。
インテリの彼も笑って
わたしもです。
互いに眼が潤んでいた。

それから会わない日が続いて、三度目のパリに行っていたこと。
東京が一番好きでパリが同じくらい好きだと話してくれた後、
親の焼肉屋を継ぐ決心をしたこと、都心に引っ越すことを告げられた。

彼が進学するたびにの悩み、
社会に出て職を決心をするまでの何年間の困難を想像した。

彼の成功を炎のように願う。

なごり雪。

March 19 はれ

夕べは家族がそろったのでディナーは外で。
我家的にはちょっと敷居の高い吉祥寺”hey珍low”
真っ白のテーブルクロス、ナプキン。
ファミリーヒストリーでこういう仕様のレストランは、
七五三の目白”椿 zan saw”以来。

母さんいきなり肉汁飛ばしてしみ一号 笑って、
セガレ箸を転がして醤油じみ。
クリーニング代まで入ってこの値段なんだよって、野暮いって笑う。
君がもの心ついてから外食はエスニックばっかだったね。

なんだか楽しくてね〜よく笑った。
明日、いい春分にする。

March 17 はれ

子どもの頃、近所にきちがいがいた。

私が大人になって、
時代、医療が進んで、
きちがいだと思っていた人々は、
認知症といわれる症状だったことに気がついた。

老いは、今日にとらわれず
誰しも避けられない。

医療的な解明だけは進み長命は叶えられたが、
ささえる心、力はたよりなく、
社会福祉もあてにできない。

まったく、わからない

March 14 あめ

例年並みの気温だと寒く感じたりするけれど、
変なタイミングで雪が降ったりしたけれど、
ダウンジャケットの下で汗をかいた日も多かった。
暖冬だった、とおもう。
今日の雨も窓開けてるもんね。

そうそう、
今年はね〜ちょっと待てよ、カワズザクラって
思いながら散歩してた。
ソメイヨシノの圧倒的な春感が、
君のフライングで薄れるじゃないかってね。
カワズザクラは冬のおわりを告げるスターなのに
ケチつけられてかわいそう。
自分でケチつけておいて。

遠くのヤナギの新芽のきみどりが
私のヨーイドン

March 10 はれ

40年以上前、僕がまだ高校生だった頃
大好きだったドラマ「傷だらけの天使」
ビルの屋上にすんでいる探偵?かなみたいな若者のドラマだ。
BS12chで再放送している。

僕が上京してきた頃、舞台になったビルは、
山手線から見えて、憧れの東京だぜって感じだった。

まだあるのかな?山手線からもう見えない。
代々木で下車。
そしたら、
あったんだ。傍までいったよ。
昭和から平成に変わり30年くらい?
21世紀になって17年目、奇跡だよ。
今にも崩れそうななんだけど、
一階は仮設っぽい造りの飲食、三階は古い中国書店。
他の階は外から見る限り廃墟。
インチキと不思議がいい感じ。

表に電話の子機を持ったお年寄りがいたので話しかけたらビンゴ!
中国本屋の主人で、ロケのことはしっかり覚えていた。
やかんを貸したんだって。
小道具なくて借りれるなんて・・・ゆるいいい話でしょ。
すてきなコミュニケーション。

監視カメラなんかで管理しない、
ヤクザとか商店街とか学校、家庭が街のルールだったけれど、
今ほど、息苦しくない時代だった。

わけのわからないなんかに
きれいになった、
安全になったと
さっぱりわかんない。
ただ血の通わないなにものかに管理されて
安心なのか油断なのか・・・苦しそう。

インチキと不思議、夢って紙一重。

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