June 28 はれ
蝉はえらいね。
木に卵を産んで、
孵って、
穴掘、地下潜伏、
春夏秋冬
幾度か過ごして
土から這い出して、
抜穴残して、
樹に登り、
羽化して、
抜殻メモリアル、たしかに残し、
空を飛んで、
俺はここにいるぞ〜
大鳴きして、
パートナーみつけて、
子孫残して、
彼方に。
地上も
地中も
大空も
知ってる
大声出して、あっという間
とことんROCKな奴だぜ。
えぇ〜夏バテ?
チェしょぼいぜ!
July 25 くもり
知人が久しぶりに息子にあって、
吉祥寺で鰻をおごってもらったそうだ。
いらっしゃい!
お冷やがテーブルにおかれたそうだ。
鰻屋でお冷や?
時代ですね〜
暑い夏でも、ほうじ茶(番茶)だと信じていました。
気がつけばそんなことがよくある。
日本料理屋でもお冷やが増えた。
コリアン料理屋に入ればトウモロコシ茶だった。
さすがに、寿司屋に入って熱い緑茶がじゃなくて、
お冷やじゃ、帰っちゃうよね。
事大ではないけれど、
やっぱり、次代ですね〜
今日の夕飯はゴーやチャンプルーって、朝から決まりでした。
アメリカに帰る叔父に送るもの集めてたら文章がでてきたので。
July 21 はれ
夕べ29年ぶりに叔父と電話で話した。
40年ぶりに墓参りに来日したという。
彼は、アメリカでビジネスをしていて、前回あったのは1988年ニューヨーク。
そのときも、私が小学校の低学年の夏休み以来だった。
夏休み母親の実家に帰っていた時の子守り役
絵がうまくて、工作が好きで、小動物が好きで、
勉強が嫌いで大好きだった。
でも、
ニューヨークで会った彼は、成功とお金の話しかしない、
エコノミックアニマルを絵に描いたような人になっていた。
ゾッとした、一族から汚らわしい!
いやな人に変わっていた。
でも夕べの彼は、よく遊んでくれた、大好きだった頃の12歳年上の叔父だった。
振り返れば、1988年って 日米貿易摩擦の真っ最中
夜のNYCを日本人が歩いていると酔っぱらいにジャップってからまれた。
1983年に滞在した時はなかったのに。
当時、完全アウェなアメリカ本土で
日本人ビジネスマンが信じられるのは金だけだったんだと思う。
ちょっと金を貯めただけで半年滞在できたのは、
完全アウェなアメリカで日本人ビジネスマンの功績
円高の恩恵だった。
彼の実家の柱に0011ナポレオンソロって落書きがある。
彼に、ニューヨークで話した時は覚えていないと鼻で笑ったが、
夕べ話したら、
世界の仕組みを知りたいのは今も変わらない、
そのために、新しいビジネスを始めた。
君も情熱を失わず動けだって。
かっこよすぎ。
July 15 はれ
あっつい!あっつい〜
きっと梅雨はもう明けてんだよね?
ペットボトルの水凍らせて、麦焼酎注いで。
出陣
あんまりひと気のない
あっつい公園の日陰のベンチで、
ペットボトル額に当てて、
濃いめの焼酎ロック。
景色でうまさちがう!でしょ。
July 13 はれ
自撮り棒
週末の同窓会に参加できないのでビデオを撮った。
100円ショップで300円で買った。
自撮り棒ってなに?
どこの国が発明したものだ
どこのメーカーが
誰とはいわなくても・・・
ウィキペディアにあった。
ミノルタ1983年が製品化。
日本発の写真道具だった。
てっきり、こんなちゃっちい写真商品は中国発想じゃないか?
ヨーロッパでの写真の発明
アメリカでのカメラの普及
日本で小型化
次は
中国か?っと思った。
カメラの小型化があって自撮り棒だったんだ。
あんまり日本人は使わないね。
フォーリナーほど。
ボクは面白い道具だと思った。